悟り さん、僕らが恐れに縛られて生きていることは分かりました。
本当に?では、子どもの世界で起こる いじめ は、恐れとどう関係があるのかな?
そ、そうですねえ。いじめる側も、いじめられる側も恐れに縛られているのかな?
おお、いい線行っとる。ついでに、それを傍観する側もな。
だが、特に いじめる側の方が、より強い恐れを抱いておるのじゃ。
より弱い人間と言ってもよい。
それは分かります。僕も小さい頃にいじめられたことがあるんですが、散々悩んだ末にキレて、いじめリーダーの胸ぐらを掴んだことがありました。その瞬間、こいつはとても弱いヤツだということが直観的に分かり、怒りが冷めちゃったんですよねえ。一度ぶん殴っときゃよかったなあ。
それ以外には、何か感じなかったのかな?正直に話しなさい。
そ、そうですねえ。悩んでいた自分がバカバカしく感じられました。僕も恐れていましたね。いじめられる自分が弱いと周りから思われるんじゃないかとか、仕返しされるんじゃないかとか。
程度の差こそあれ、僕も弱かったな。
正直でよろしい。弱さを認めることから逃げていると、どんどん自分の心を弱くしてしまうのじゃ。特にいじめる側は、ただでさえ、とても弱い。そんな弱い自分を、周りに知られるのが怖くて怖くて恐れているのじゃ。
だからいじめる側になり、周りに弱さを知られないようにしているのじゃな。
いじめればいじめるほど、弱さを認めることがとても難しくなる。生涯認められんかもなあ。
大人になってもそんな人と出逢ったりしますねえ。
そうして恐れを経験せず人生を無事終わらせることが出来ると、彼らは思っているんでしょう。
本当にそれが出来ると思う?そう感じる?
結論を言おう。
自分の弱さから目を背け、まして、人を傷つけてまで逃げてきた弱い人間は、人生の終わりに、そのつけを払わなければならない。
それは人生に終わりがあるように、絶対なのじゃ。
それはつまり...つづく
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